『立花隆―最後に語り伝えたこと』を拝読して

今年2021年春先に、あの「知の巨人」と言われました立花隆さんがお亡くなりになりました。その立花隆の遺稿を編集して実の妹さんが世に出して下さいました著書が『立花隆―最後に語り伝えたこと』です。多くの感動と共に深い教訓を頂きました。

「戦争の記憶」「世界はどこ行くのか」この二部で構成されております。        立花隆さんは1940年、長崎に生を受けております。先の世界戦争の終戦は1945年8月15日ですから、立花さんは終戦5年前の誕生(ちなみに私は戦後4年の生)です。        私の父は海軍の二等兵でフィリピン沖で乗っていた船がアメリカ軍の攻撃で沈没、自分と同僚一人と共に近く小島に辿り着き、命ながらいたと聞いております。その後日本に帰還、終戦を向かえました。その後のベビーブームの中で私はこの世に産み落とさた次第です。  私には戦争の記憶は全くありません。しかし5、6歳の頃だと思いますが、近所のおじいちゃんが話した事を今でも鮮明に頭の中に残ります。「兵隊の大将が新しい日本刀を手に取り、近くにいる中国人のお婆さんに対して、その日本刀の試し斬りとして、そのお婆さんを日本刀を振りかざした・・・」子供心に痛々しく感じ入ったものでした。

この立花さん著書の中にも語られておりますが、毎年8月の終戦記念日が近づくと、戦争の悲劇が報道されます。特に日本に落とされた二つの原子爆弾の恐らい画像が流されます。勿論日本は唯一の被爆国として世界に、その悲惨さを大きく訴える義務があろうかと思います。しかし、それでに日本人がして来た事、中国大陸、朝鮮半島、東南アジアで繰り広げて来たであろう痛ましい歴史を再確認する事の大切さをけっつして忘れてはならない事でもありますまいか!                                        この著書の中で、香月泰男さんを紹介されております。香月さんは戦争のため中国大陸に兵士として送られ、そこで終戦を迎えると共に、ソ連軍に逮捕、捕虜としてシベリアの奥地に送られ強制労働を強いられます。                                    その後日本に帰還し、その体験を多くの絵に残しております。その中で「赤い屍体」(香月泰男氏記「あの時満鉄の線路の傍に転がっていた屍体。そのものの素性は知らない。あるいは、その男も王道楽土建設の幻想に欺かれて満洲開拓にやって来た貧農の息子か何かで、彼自身戦争の被害者だったかもしれない。しかし、それでもやはり私の眼には、それは加害者の贖われた死として映った。」)が、「黒い屍体」(原爆投下の直後に撮影された黒焦げの少年の写真)と共に紹介されておりました。

何と悲惨な歴史でありましょうか!私たちの父や祖父たちが前の世界大戦の加害者であり、また被害者でもあったのです。もっと恐らしい事は、自分の中にも、戦争のような異常な状況が生じたらどの様な行動をするのだろうか恐ろしい己の姿を思う事を禁じえません。      ゴーギャンが楽園タヒチで、あの大作『我々は何処から来たのか我々は何者か我々はどこへ行くのか』を思い出します。彼はその後は自ら命を絶ち、この世を去って行きました。

死を見つめる事。辛くて痛み不安を感じることでは有りますが、70歳を過ぎて妻を失い、近隣の友人・知人の死を体験すると、とても大切な事、避けて通り過ぎる事の出来る事ではないような気がしてなりません。 2021年9月26日  洟垂記

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